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HAMARUを作った理由と、人生のどん底から救われた話

HAMARUを作った理由と、人生のどん底から救われた話

なぜ引きこもってる? こんなはずじゃなかったのに

こんにちは、はまるおじです。
HAMARU合同会社の代表をしています。

数年前、僕はやりたい事を見失い、人生のどん底でした。

メンタルの不調でウツになり、

社長なのに会社に行けなくなり出社拒否。

いろんなことから逃げ、引きこもる日々。

「なんでこうなったんだ?」

勉強嫌いで赤点常連の落ちこぼれ

今から33年前、
13歳の僕は、英語と数学が大キライ。

全く勉強しないので、テストはいつも赤点

でも社会科やプログラミングはすごく得意な、かなり偏りのある子でした。

僕は、好きな事以外は全く興味が持てず、向き合えない子でした。

そんな子も大人になり、憧れのゲームプログラマに

そんな子も大人になり、憧れだったゲームプログラマになりました。

ゲーム作りは超絶ハードな仕事でしたが、大好きな事だったのでのめり込みました。

プログラミングして、お金貰えちゃって良いのかな?とすら思ってました。

寝食忘れて没頭し、10数年間たくさんのゲーム作品を作る機会に恵まれました。

リーマンショックで勤務先がなくなり、起業

ゲーム業界にもリーマンショックの荒波が押し寄せ、勤務先が無くなりそうな頃…

小さいゲーム会社を起業して、社長をやることになりました。

社長や経営には興味なかったんですが、周囲の仲間に推されての決意でした。

このまま同じ仲間と、ゲーム作りを継続したい気持ちが強かったんです。

でも、ここに大きな落とし穴が…

僕は 「好きなこと以外は全然できない子」 だったのをすっかり忘れてしまっていました。

社長業や経営は好きではなかったのです。

あれ?ベッドから起きられない?

僕も子供の頃と違って大人ですから、嫌いでもガマンして続けていました。

そうしたら、突然動けなくなりました…

プログラム好きな自分を抑えきれず、社長とエンジニアを両方全力でやろうとして、パンク。

ついにメンタルを壊し、ウツになりました。

なぜか会社に行けなくなり、出社拒否。
社長なのに、会社から逃げ去りました。

仲間には迷惑をかけたなと心痛します。

いない間の国民的大ヒットで心が虚無

そんな時、開発や支援でプロジェクトに参加していたスマホゲームが大ヒット。

それはもはや国民的超ヒットと言えるほど(あの、みんなで弾いてモンスターに当てる…)

貢献できて、ほんの少し誇らしい気持ちがありました。

でも、そんな華やかな状況の中にあって
自分はチームの輪の中に居れない虚無感が
うつをより深めてしまいました。

「何のため、あんなに頑張ってたんだ?」
という思いがよぎった事もありました。

妻に生活を支えてもらう日々

生活を支えてくれている妻の出社を、毎日、自宅からぼーっと送り出す。

髪も髭もボサボサ、まぶたはピクピク、目は濁っていて、働く気が起きず。

時間ばかり過ぎていました。

嫌いな事は一生克服できないのか

好きなことなら夢中でやれるのに、キライなことは、なんであんなにできなかったんだろう?

と悶々と振り返る日々。

嫌いな事を無理して続けるのはしんどいし、全然上達しないから楽しくない。

それと比べて、なんで好きなことは、こんなに簡単にできるんだろう?

そういえば、過去に似た経験があった…

13歳の頃、勉強はキライでゲームは大好き
そして、ゲームから学んだ教科は楽勝で満点がとれた。

あの時、大嫌いな数学や英語も
好きになってたら、人生は変わったのか?

それとも、キライなものは
一生克服できないのか?

枯れている心の中で、ぼんやりとですが
克服できないと認めたくない!
と、否定したい感情が湧いてきました。

学ぶ楽しさはゲームから教わった

13歳の頃社会科やプログラミングが得意だったのは、ゲームがきっかけでした。

ゲームで「楽しい、好き」 って印象を持ち、好奇心が育ち、芋づる式に学びの世界にのめり込んだのです。

勉強嫌いのためのゲームを作ろう

じゃあ、勉強が好きになるゲームを作ったら良いんじゃないか…

入口を楽しくすれば勉強は好きになれる

病んでたメンタルがウソのように

あーして、こーして、こういう感じにしてー

夢中でパソコンにかじりつき、企画を考え、いつの間にかプログラミングで試作したり。

僕の様な勉強嫌いを1人でも多く減らしたい

そう決意してゲーム作りを始めた途端
ウソのようにメンタルの不調が消えました

僕はゲーム作りは大好きだったのです。

好きな事には没頭できる特徴も、いつのまにか忘れていました。

水を得た魚のように生き返る

この間まで死んだ目をしていたのに、生き甲斐を見つけることで生き返りました。

ゲーム作りは最後かもしれない

もう一度だけ作るチャンスが与えられた!
でもどん底だから失うものもないし。

そう開き直り、情熱、使命感、技術、経験…持てる全てを注いで一心不乱に作りました。

生活するために、他の仕事をしながら、時間を見つけ、ひとりぼっちで作る日々。

「面白く勉強になる」困難さの壁

面白いゲームを作ること自体がそもそも難しく、クリエイターがしのぎを削る世界。

それに加え、勉強要素との調和が必要…
ゲームと勉強どちらに偏り過ぎてもダメ

過去、面白くて勉強になるゲームはほとんどない。

その理由を痛感…
「これ、作るのめちゃくちゃ難しい!」

何度も作り直し
手間暇惜しまず
細部も手を抜かず
使い勝手にこだわり
完成まで2年以上の歳月がかかりました。

ついに完成

13歳の頃の僕が欲しかったゲームが、今ここにあります

勉強嫌いの13歳の僕が欲しかったゲーム
そして、人生どん底の僕を救ったゲーム

そのゲームがあなたの目の前にあります。

13歳の頃の僕の代わりに、あなたに
勉強が大好きになるまで使い込んでほしい
そんな願いが込められています。

あー33年前こんなゲーム欲しかったなーー

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